《研修医ブログ》将来のこと&縫合実習Part2(研修医2年)

こんにちは。研修医2年目のTです。
本当は6月中にブログを書く予定だったのですが、とても遅くなってしまいました…。
少し前の話ですが、予備校時代の友人たちと会ってきました。以前は毎年会っていたのですが、コロナ禍で集まれなくなり、約4年ぶりの再会になりました。その時食べたパエリアの写真を載せています。話の内容が社会人らしくなり、大人になった実感がわきました。医療関係以外の人もいたので、普段関わらない職種の話なども聞けて楽しかったです。あの時はそれぞれ将来どんな風になっているのか想像がつかなかったので、みんなの近況が分かり新鮮な気持ちになりました。


将来といえばそろそろ研修医2年目も診療科を決める時期となってきました。私は結局3年目以降は泌尿器科に進むことが決まりました。学生の頃は手術がある診療科には絶対に進まないと決意していたのに人生は分からないものだなと思いました。

話は変わりますが、先日外科の先生方指導の下縫合・結紮研修が行われました。実は1年前にも縫合実習のことをブログに書いていたのでとても懐かしい気持ちになりました。1年目と2年目の研修医で和気あいあいとしたいい雰囲気で行えました。昔は縫合をするのがあまり好きではなかったのですが、上級医の先生方が優しく指導してくださったおかげで研修医になってからはとても好きな手技になりました。マリア病院は先生やコメディカルの方々に優しい方が多くアットホームな雰囲気の病院なので、興味のある方はぜひ見学に来ていただけるとありがたいです。また、もし泌尿器科志望の方がいたら声をかけてくださると嬉しいです。

《指導医ブログ》面接(耳鼻咽喉科 担当部長Dr.佐伯)

皆さんこんにちは。耳鼻咽喉科の佐伯です。
今回のブログは「面接」と題しました。その理由は、最近、面接をする立場とされる立場をそれぞれ経験したからです。一つは初期研修の先生方の採用試験の面接官を務めたこと、もう一つは日本睡眠学会専門医の面接試験を受けたことです。

まず、初期研修医の採用面接官のことについてですが、この年齢(もうすぐ65歳)になって初めて面接官を経験しました。4人の面接官の中で最後に面接の順番が回ってくるため、他の方々と内容が重複しないように、まずは申請書の記載内容をみて、いくつかの質問を考えておきました。自分が医学生の時には勉学はほどほどで、教養時代からソフトテニス部を中心に活動していたこともあり、どうしても勉学的なことや医師としての抱負などよりも部活動やアルバイト経験などの社会活動の質問が多くなってしまいます。面接中は、初期研修医になる学生さんの人間性や性格などを把握しようとしますが、それがなかなか難しいものです。確かに第一印象は重要ですね。皆さんの緊張感と初々しさがひしひしと伝わり、将来が希望で満ち溢れているなと羨ましくも感じました。でも、最終的には学業成績よりも性格が素直で協調性のある方がいいなと個人的には思ってしまいます。

次に、面接を受けた立場についてです。当院耳鼻咽喉科は日本睡眠専門医療機関に認定されているため、学会に入会し耳鼻咽喉科で一定期間の研修を受けると日本睡眠学会専門医の受験資格が得られます(追加ですが、アレルギー専門医の受験資格も取得できます)。このたびはせっかくの機会でしたので思い切って試験を受けてみることにしました。受験の形式はマークシート方式の筆記試験と面接試験でした。これまで病院赴任時などのお決まりのような面接は受けた経験はあるものの、正式な面接試験を受けた経験はありませんでした(今回の試験では私が最年長であることは明白でした)。まずは人間性をみられるでしょうが、知識や臨床経験を主に試されるため、面接が始まるまでは自分でも緊張しているなと感じていました。しかし、最初の質問でつまずかなかったため、その後は比較的落ち着いて面接を受けることができました。二人の面接官は私よりも年下のようでしたので気を遣っていただき(?)、偏った意地悪な質問はなく、まあまあの出来だったかと感じました(面接官的には逆か?)。しかし、少し気がかりなのは面接室から退室する時に、安堵感からか、「この歳で面接試験を受けるとは思いませんでした。」と余計なことを口走ってしまったことです。面接官はどう感じたでしょうか? この文章がブログに掲載される頃には試験結果が発表されているでしょうが、果たして結果は??

このように、全く逆の立場になるふたつの面接に関わることとなりましたが、ともに貴重な経験でした。皆さんはこれから色々な面接を経験していくでしょうが、平常心で相手の目を見ながら自分を素直に表出することが大切でしょうか? それでは、皆さん心身ともに健康に気を付けて、焦らず一歩ずつ前向きに頑張ってくださいね。

《指導医ブログ》留学の勧め 〜アナザースカイの実現へ(2)〜(病院長Dr.金廣)

(3)留学だからできる楽しみについて
さて、留学早々から日常生活でのculture shock、すなわちこれまでの価値観がひっくり返るような事例を多数体験できます。米国は”Ladies first”の国であることは言葉の上では知っていましたが、例えば、エレベーターでは扉を押さえて女性を先に乗せ、降りる際も扉が閉まらないように気をつけて女性を先に通す。決して先に乗り込んではダメです。5mほど前から女性が歩いてきたら男性はドアを開け待ち、女性が通り過ぎるまで手で押さえて待つ。笑顔は忘れず、女性はThank you!と言うのでYou are welcome!, My pleasure!, No problem!, Any time!, Sure! などなど相手との間柄やシチュエーションに相応しい返答をすることが必要。また、高級レストランで案内が付くときは女性を先に通して男性が後ろを歩く。ただし、案内などが付かないレストランでは男性が先に立って席を探すなど日々gentlemanであるべきなのです。あくまで男性の話ですので悪しからず。さて、ラボ仲間の食事会や飲み会なども多く、サマータイムの時には21時ごろまで明るいため我が家のbackyardでBBQを楽しんだり、仕事を終えてからのゴルフのラウンドも十分可能です(ハーフだと僅か10ドル程度です)。また、休暇も十分取れるのでみんな長期のsummer vacationを楽しんでいましたが、私は毎年2〜3週間程度車にテントを積んでNational Parkを巡っていました。コロラド州はユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミングと接しており米国の人気National Parkが多く(写真6)、全米で59箇所のNational Parkの内20箇所を制覇しました(地の利もありおそらく日本人留学生のtop classだと思います)。とくにロッキーマウンテン国立公園(コロラド)(写真7)、アーチーズ国立公園(写真8)、The Narrowsで有名なザイオン国立公園(ユタ)(写真9)、世界遺産でもあるイエローストーン国立公園(ワイオミング)(写真10)はおすすめです。また、ロッキー山脈には米国の最高級スキーリゾートが多く、冬は毎週末ホームグラウンドにしていたPark Hyatt Hotelを中心として広がるBeaver creek(写真11)やVailに行っていましたが、3,500m級の山頂からpowder snowを滑降する快感は筆舌に尽くし難いものです(写真12)

(写真6)

(写真7)ロッキーマウンテン国立公園

(写真8)アーチーズ国立公園

(写真9)ザイオン国立公園

(写真10)イエローストーン国立公園

(写真11)

(写真12)

(4)Shall we try?
若手や中堅医師にとって留学はキャリアアップやポストアップに繋がる可能性、また帰国後専門領域においてリーダーシップを取ることにより医師としての活動範囲が広がる可能性があり、インパクトの高い業績を上げることがてきれば留学は医師としての評価を高める貴重な機会になり得ます。また、様々な国から留学して来た言語・文化・社会的背景が異なる仲間とコミュニケーションを図りながら仕事を進めていくにあたり、多様性を尊重し多方面でレスペクトすることを自然に習得することが可能で、留学経験は単一民族国家として独自の言語と文化を確立してきた日本人にとって国内にいるだけでは到底経験できない「人生の財産」と言っても過言ではありません。知らず知らずの内に物事を太極的に見ながら良し悪しを判断することが身についていく感じでしょうか。今私たちは医療のグローバル化が進む世界、すなわち日本だけで医療を完結するのは難しい時代に生きています。留学とはグローバル競争社会で揉まれて自身が本来持っている可能性をさらに高めることができるかけがえのない人生経験への自己投資であり、結果として数年間の海外生活であるにもかかわらず人として、またその後の医師人生の糧になる有意義な人生の寄り道、「アナザースカイ」と考えていいのではないかと思います。
『これから始まる長い医師生活の中で、研修や研究が一段落したところで思い切って留学してリフレッシュし、それまでの医師人生を振り返りながら新たなステップを踏み出してみる、こんなプランニングはいかがでしょうか?』
医学生並びに研修医のみなさん、留学は早い方がbetterです(singleあるいはfamilyだと子供が小学生ごろまでが現地の学校に馴染みやすいと思います)。ポジティブ志向で今からでも考えてみませんか。

《指導医ブログ》留学の勧め 〜アナザースカイの実現へ(1)〜(病院長Dr.金廣)

医学生並びに研修医のみなさんこんにちは! 病院長の金廣です。
今回は医師の留学についてお話ししたいと思います。

(1)医師留学の現状について
医師の留学には臨床留学と研究留学があり、臨床留学は初期研修終了後2〜4年あるいは臨床医としてしばらく診療後が多く、レジデンシーは3〜5年、フェローシップは1〜4年程度。米国での医療行為にはUnited States Medical Licensing Examination(USMLE)のStep2 CSまでの合格が必須ですが、米国外の医学部を卒業した医師(International Medical Graduates: IMG)の増加に伴い米国の医学部を卒業した医師との専門研修におけるポジション争いが激しくなり、Educational Commission for Foreign Medical Graduates(ECFMG)はIMGの増加に歯止めをかける目的で受験資格を2023年より厳格化する方針を示しており、専門研修病院は狭き門になることが予想されます(マッチする確率は診療科や地域によって異なるため、留学期間中にいかにマッチする可能性の高い施設を見つけることができるかが鍵です)。一方、研究留学は客員研究員あるいはポスドクとして留学先からIAP-66とInvitation letterが届き、在日大使館/領事館に書類を申請後交流訪問者プログラム(J-1ビザ)が発行されれば留学可能です。留学期間は1〜3年程度が多いでしょうか。私は岡山大学の助手休職のポジションで留学できたため、大学と留学先のLabから給与を得ることができたので比較的生活は安定していましたが、やはり生活費が高く家族のために安全な校区を選ぶと家賃だけで20万円以上は必要でしょうか。我が家は平家のセントラルヒーティング付きで、フルサイズの地下がありましたが、この地下室は夏涼しく冬暖かい優れものでした(写真1)。またAmerican Lifeをenjoyするためにはある程度の持ち出しが必要になります。現在は岡大を含め役職休職での留学制度は残念ながらほとんどの大学で廃止されてしまいました。さらに、日本からも米国留学先からも全く無給の留学の場合(以前は普通にあり)にはJ-1ビザの発給ができなくなりましたが、現在日本からの留学医師の減少(逆に中国や韓国などのアジア勢はどんどん増加しています)により様々な学会や団体からの留学グラントが獲得し易くなっているため留学資金の確保は十分可能だと思います。日本人医師は海外でもモラルが高く、社会的信用性、期間内で研究や論文を仕上げ、きちんと帰国するため留学しやすい立場にありましたが、米国では環境の変遷に伴い成果に直結する専門性の高い医師を求めるようになり日本人医師にとっても研究留学自体が以前と比較すると容易ではない状況に移行していますが、米国でも欧州でも日本人医師の留学後の活躍を実感しているため引き続き双方がwin-winの関係であり、留学したいという意思が強ければ最終的にはみんな留学できています。

(写真1)

(2)留学の医学的メリットについて
さて、留学期間中は研究スタッフとして研究室で実験を行いながら毎週のラボミーティングやカンファレンスだけでなく、施設や病院が主催する他大学の有名な研究者のレクチャーやセミナー、シンポジウムなどにも参加し、グローバルな生命科学について知見を深めることができます。私がいたときにもノーベル賞候補者が講演に来たり、Impact Factor (IF) の高いJournalのchief editorが来た時にはみんなこぞって自分の研究成果を発表し、売り込み、作成中の論文のacceptに向けてbrush upするのが常で、日本では見かけない国際競争力の源となる光景です。研究留学先の多くは大学医学部や病院、基幹研究施設であるため、専門分野において臨床医らとの交流や臨床研究などにも参画することが可能で、とくに、世界的な業績を上げている研究室のミーティングは独特な雰囲気で、最新の研究動向を把握することによって今後の各自の研究の方向性を修正することが可能であり、up-to-dateな現場を肌で感じることは医師として極めて有益な機会となり得ます。残念ながら最先端の研究情報はまだまだ海外から発信されることが多く、一度は留学生活を経験してみたいと思う人は少なくないはずです。また、グローバルに活躍する医師や研究者らとの交流を帰国後の研究や臨床に繋げることも可能であり、留学から帰国後もみんな共同研究を継続しながらoutputを出しています。
私は、創立1899年で呼吸器・アレルギー疾患の診療及び研究のメッカであり、呼吸器分野において全米 Top HospitalであるNational Jewish Medical and Research Center. Denver. CO (現 National Jewish Health)に留学しました(写真2,3)。私が留学中に初めて全米1位になり盛大に祝賀会が開催されたのが懐かしいですが、以後26年間1位/2位を継続しています。今年はMayo Clinicが1位でNational Jewish Healthが2位でした(成人領域では1位)(写真4)。ラボには世界中から優秀な医師が集まっており、今振り返っても40年の医師人生の中でこの数年間は極めて充実した思い出深い貴重な日々であったと確信しています。私は気管支喘息の本体である気道炎症と気道過敏性の病態解明、新規治療薬の開発を大きなテーマとして研究を開始しましたが、Bossである免疫学を専門とした有名な小児科医であるProf. Gelfandは細かい指導はなく好きなように研究をさせてもらい、同時進行でたくさんの研究を走らせ、様々な研究室とコラボレーション研究も可能でした。私が留学した当時のGelfand Labは、日本人は私1人でドイツ人、フィンランド人、イタリア人、イギリス人、フランス人、ポーランド人、モロッコ人と多国籍集団で、みんな国民性豊かで、また家族同士の付き合いも盛んで毎日楽しい留学生活を送ることができました。帰国後も国際学会に合わせてそれぞれの国に招かれたりしながらkeep in touchしていくのは楽しく、このような留学を通じて培った経験や人脈は以降の医師生活においても非常に大切であることは言うまでもありません。Prof. Gelfandを日本アレルギー学会の招請講演の演者として招いた時に日本から彼のLabに留学した仲間(岡山大学、福井大学、新潟大学、高知大学、慶應義塾大学、東京女子医科大学、名古屋大学など)で食事会を開催しました(写真5)。留学中のコラボレーションによる研究成果も下記の如くhigh quality journalへのacceptも多く充実していました(ちなみに留学関連で作成した下記論文のIFの合計は450点になります)。

1) Negative regulation of airway responsiveness that is dependent on gammadelta T cells and independent of alphabeta T cells. Nature Med 5:1150-6. 1999.
2) The failure of STAT6-deficient mice to develop airway eosinophilia and airway hyperresponsiveness is overcome by interleukin-5. Am J Respir Crit Care Med 160:1283-1291. 1999.
3) Role of gammadelta T cells in protecting normal airway function. Respir Res 1:151-158, 2000.
4) IL-10 is necessary for the expression of airway hyperresponsiveness but not pulmonary inflammation after allergic sensitization. Proc Natl Acad Sci USA 97:6007-6012. 2000.
5) Type 4 phosphodiesterase inhibitors attenuate respiratory syncytial virus-induced airway hyper-responsiveness and lung eosinophilia. J Pharmacol Exp Ther 294:701-706. 2000.
6) Timing of administration of anti-VLA-4 differentiates airway hyperresponsiveness in the central and peripheral airways in mice. Am J Respir Crit Care Med 162:1132-1139. 2000.
7) Inhibition of phosphodiesterase 4 attenuates airway hyperresponsiveness and airway inflammation in a model of secondary allergen challenge. Am J Respir Crit Care Med 163:173-184. 2001.
8) Tumor necrosis factor (TNF)- negatively regulates airway hyperresponsiveness through T cells. Am J Respir Crit Care Med 164:2229-2238. 2001.
9) T cells as regulators of airway hyperresponsiveness. Int Arch Allergy Immunol 125:203-210. 2001.
10) The failure of interleukin-10-deficient mice to develop airway hyperresponsiveness is overcome by respiratory syncytial virus infection in allergen-sensitized/challenged mice. Am J Respir Crit Care Med 165:824-831. 2002.
11) Regulation of Airway Hyperresponsiveness by Calcitonin Gene-related Peptide in Allergen Sensitized and Challenged Mice. Am J Respir Crit Care Med 165:1137-1144. 2002.
12) MHC-Class-I-dependent V4+ pulmonary T cells regulate  T cell-independent airway responsiveness. Proc Natl Acad Sci USA 99:8850-8855. 2002.
13) Fexofenadine modulates T-cell function, preventing allergen-induced airway inflammation and hyperresponsiveness. J Allergy Clin Immunol 110:85-95. 2002.
14) Requirment for the p75 TNF-receptor (TNFR2) in the regulation of airway hyperresponsiveness by  T cells. J Immunol 169:4190-4197. 2002.
15) Effects of fexofenadine on T-cell function in a murine model of allergen-induced airway inflammation and hyperresponsiveness. J Allergy Clin Immunol 112:89-95. 2003.
16) Aerosolized anti-T-cell-receptor antibodies are effective against airway inflammation and hyperreactivity. Int Arch Allergy Immunol 134:49-55. 2004.
17) Alteration of airway sensory neuropeptide expression and development of airway hyperresponsiveness following respiratory syncytial virus infection. Am J Physiol Lung Cell Mol Physiol 288:L761-770. 2005
18) Airway Hyperresponsiveness in the absence of CD4+ T Cells after primary but not secondary challenge. Am J Respir Cell Mol Biol 33:89-96. 2005.
(写真2)

(写真3)

(写真4)

(写真5)

 

《研修医ブログ》週末の過ごし方

1年目研修医のAと申します。

先月は麻酔科で研修させていただきました。
麻酔科では気管挿管を毎日繰り返すことで上達することができました。当院は実践力を重視しており、1年目からさまざまな医療行為を自ら経験することができます。

研修医は同期6名と丁度良い人数で出身大学も様々なので、馴染みやすい方だと思います。また、宿舎が病院の隣に立地しており時間に余裕のある生活ができています。

さて私事ですが、週末に富士スピードウェイを訪れ、スーパーフォーミュラのテスト走行(上)と併設のミュージアム(下)を見学しました。

写真の赤い車両は、イタリアの都市間公道レース『ミッレミリア』を戦った1930年式アルファ・ロメオ6C1750です。当時最新鋭の航空機の構造を参考にした設計であり、93年前にして最高速度140km/hを発揮しました。湖や城郭が連なる風光明媚な街道を、目にも鮮やかな名車たちが駆け抜ける様はさながら走る宝石のようで本当に素敵な光景だったことでしょう。
ご覧のように、100年近い歳月はマシンの形状を大きく変えましたが、しかし唯一変わっていないと感じたことがあります。
それは各時代のレーシングカーが美しいボディに強大なパワーを備えた『勝つためのメカニズム』だということです。

散漫になりましたが、以上のように刺激的な週末旅行でリフレッシュできました。

最後になりますが、実践重視で休日も満喫できる当院を研修先候補に加えていただければ幸いです。