一昨日(13日)・昨日(14日)は、
母校: 奈良県立医科大学付属病院の
緩和ケア研修会に参加していました。
13日は、やや早めに橿原市
(医大は奈良市ではなく橿原市にあります)
についたので、
歩いて、橿原市最大のショッピングモール
橿原アルルに行ったり、
学生だった頃~研修医(独身)だった頃に
住んでいたボロハイツ(コーポ日の出)を
見に行ったりしました。
このコーポ日の出ですが、
築年は、1973年!! 僕と同期の桜です(*^_^*)。
僕が医学生だった頃(1990年代)には、
隣近所は、みんな先輩でしたが、
(後輩はおらず、僕が最後の医大生だったのかも・・)
いまは・・・どうなんでしょ・・・?
あの頃(1990年代)は、
ほんと、古きよき時代でした(*^_^*)
母校では、
業室研究生(医学生研究者)だった頃(1995年~1998年)と、
研修医だった頃(1998年~200年)、
そして大学院生だった頃(2000年~2004年)に
お世話になった基礎校舎や、
スタッフドクター・大学教員(助教→講師)として
(2004年~2012年)お世話になった頃の
臨床研究棟などを見て回りました。
ま、こんな風に感慨深く、
母校を見て回ったのには、
ちょっとした理由があります。
母校: 奈良県立医科大学の教育職を辞して
地元:姫路に帰り、6年。
縁あって、辞したはずの母校において
毎年のように、講義をさせていただいていましたが、
それも、諸制度の変更により、
今年度で終わり・・・。
今年度をもって、母校との縁が、
薄らぐんです・・・。
さみしさとともに、
母校のName valueに頼らず
もっと自分を磨かねば・・・と
思う今日この頃・・・・。
であるがこそ、
母校での最後の講義に出向いた2日間は、
多少センチメンタリズムに浸ってしまったわけです。
ひとは変わらねばなりません。
でも、変わりたくないものでもあります。
ひととして、
いろいろなことを
思う、研修会でした。
たかはし